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人間関係で学んだこと 1

人間関係

職場での経験は子ども時代の思考が影響していた

<学び>とは何かを考える

学校に行くことだけが学びではないのは
誰でも知っています。

家庭の中で、あるいは友人や同僚、職場との関係で
「学びの場なのかな」と思うことは珍しくないでしょう。

「人生において」という枕詞をおいて
ロングスパンで考えてみましょう。

「学びが大きかったな」
「学ぶのにずいぶん時間をかけたな」
こんな内容はありませんか?

 

あなたのテーマはなんですか?
ただ一つのテーマに絞らなくてもかまいません。

私の場合、「他者とのかかわり」
テーマの一つだったように思っています。

2回に分けてご紹介していきますね。

 

子どものころの記憶

小学生の3~4年生くらいでしょうか。

同級生と話すのがつまらないと
感じるようになりました。

2つ3つぐらい上の子と話すのは
楽しかったのに。

そういう子たちが近所の遊び仲間グループから
姿を消すと(たぶん中学生になったからです)
その傾向は顕著になりました。

 

同級生と遊べないわけではなかったのですが。

 

だけどアニメやアイドルの話よりも
親と一緒に見たテレビドラマの方がおもしろかったのです。

野球ができるくらいに広かった空き地は造成されて
近所には多人数で遊べる空間はなくなっていました。

 

こうしたことも影響していたかもしれません。

 

家の中で過ごす日々

必然的に家にいる時間が増えました。

「もう帰ってきたの?外で遊んできたら?」と親。

「いや、つまらないんだ」と私。

 

余った時間は読書に向かいました。

まだファミコンと呼ばれたゲーム機は
世に出ていなかったはずです。

携帯すら存在しない遠い遠い昔の話。

新聞は言うに及ばず、子ども向けの世界文学全集のような
ぶ厚い本を何冊もひたすら読んで過ごしたのです。

 

優越感の象徴キーワード「自分は自分」

あるとき、格好の茶飲み相手だった母に
つぶやきました。

「自分は友達といても楽しめないんだ」

 

母からは次のような言葉が返ってきました。
「あなたはあなたでいいんじゃない?」
「無理に友だちに合わせる必要はないんじゃないかしら」
「自分は自分でいいのよ」

 

これらの言葉は、長い間自分の人間関係に対する
免罪符として機能してきたように思うのです。

自分が大人なんだから仕方がない
・・という優越感。

幼いヤツらは成長中なんだから
邪魔しないでおこう・・・という「上から目線」。

生意気にもこう思うようになっていきました。

 

バッサリと人間関係を切る

まだ30代になる前の会計事務所での話。

入社してまだ1~2年くらいの若者のことを思い出します。

彼が命じられた「業務用ソフトの導入プロジェクト」は
ヒアリングのミスなどから無残にも失敗し
お客様から大きなクレームへと発展していました。

私がその後始末に何度も訪問して
リカバリーに何とか成功、無事システムが動くようになりました。

 

しかし、あまり反省の色をみせなかった若者に
私は冷たかったのです。

同僚であっても、こちらからは特に話しかけません。
必要最低限にとどまりました。

 

それどころか、意識の上ではいないかのように
振る舞っていたのです。

大きな声はあげないものの
彼からみたら、さぞや怖い先輩に映ったことでしょう。

 

私は、一度ダメなヤツと思ったら
その認識を改めることはほとんどなかったのです。

 

この冷たい視線は自分にも向かいます。

「ダメなヤツと思われてはいけない」
「それは社会人にとって死と変わらない」

とさえも。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。