【関連情報】大幅値下げ!別サイトで展開中の『テキスト&動画講座』がお求めやすく!詳しくはここをクリック!

問題はどちらが正しいかではない

人間関係

正当性だけでは解決しない

先日、自転車で行きかう壮年男性二人が
口論している現場に居合わせました。

一人はスーパーの駐輪場に自転車を入れよう
として道路を斜めに横切ろうとし
もう一人はその入り口前を通り過ぎて
いこうとしていました。

散歩中だった私が見ている前で
2台の自転車は近付いていき
接触しそうになりました。

すんでのところで自転車が止まり
つかみかかる勢いで口論が始まったのです。

「右側通行すんじゃないよ
危ないじゃないか!」

「店に行くんだ、何の問題がある。
そっちこそ×△$%&・・」

語尾こそ不明確ですが、片方は相手を
つかもうと手を伸ばしていきます。

2人とも60代ぐらいにみえました。

 

どちらも進路を譲ろうともせず
そのために危険な状態になったわけです。

散歩中の私が近づいていくうちに
2人とも舌打ちしながら離れていきました。

 

自分が正しい、だから・・

「いい年して争うなんて」・・ということが
言いたいのではありません。

感情を害すれば、怒りだって生まれます。
年齢には関係ありません。
ただ表現方法は変わるかもしれませんが。

この2人に共通しているのは
「自分こそが正しい」という考え方でした。

自分が正しい=相手が間違っている
というわけですね。

ルールを守って左側を走っていた側も
道を横切るために道路を斜めに走った側も
一人で走っているなら問題ないわけです。

ただやみくもに自分の正当性をアピールし
お互い怒りを生むことになりました。

 

道路を横断すれば、必ず両者のルートは
交差することになります。当たり前ですね。

・逆走してくる自転車に対し
スピードを落として、進路をやや変えて距離をとる

・近付いている自転車のスピードをみて
道路を横断するタイミングをずらす

 

どちらもできたはずですが、直前まで
ブレーキをかけず突っ込んでいったのです。

もちろん、老化に伴い相手の動きへの判断が
遅れたということもあるかもしれません。

でも彼らが示したのは、それぞれの正当性であり
怒りでした。

相手側からみたらという視点が欠け
口から出て生きたのは非難だけでした。

 

決めつけると争いが生まれる

心に余裕があれば
こんなことは起こりません。

今回はどちらも危険を感じて
自転車を止めることができました。

感情に火がつけば、暴言、暴力にだって発展します。

 

その意味では両者に落ち度があると
いうことになると感じました。

双方とも自分だけが正しいとして
相手を思いやらなかったことが原因ですから。

※道交法的な解釈はここでは別としますが

 

本質は「自分にできること
つまり能動的に動いていたらどうなったか。

そういう気持ちの余裕さえあれば
危ない目にあうことはなかったのです。

止まってくれてありがとう・・と
感謝だって示すこともできたのに。

 

「自分にできることはなかったか・・」

怒りを感じそうなとき、思い浮かべてみては
いかがでしょうか。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。