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仏壇の前で思い出した3歳の記憶

独り言

お盆といえば「帰省&墓参り」というのが
我が家の定番です。

帰省といっても、そんなに遠いわけでは
ありません。

高速道路を走って1時間ちょっとぐらいの
位置にあります。

 

墓参りの風景

まず実家の母をピックアップして
霊園へ行くのが恒例のコースでした。

霊園ではお墓を簡単に掃除して、花を飾り
線香を供えます。

でもいつも気持ちが入らず、どこかうつろな
気持ちで手を合わせていました。

子どもたちも一緒ですから、
「こうするんだ・・」と作法を教えるために
手を合わせているような。

「亡くなった父はここにはいない」
どこかで感じていたせいかもしれません。

 

仏前で感じたこと

父が亡くなって8年が過ぎました。

胃がんで余命半年と宣告されてから
2年半くらいでの旅立ち。

けっこう頑張って生をつないでいましたが
最後は苦しそうでした。

リビングに置いたソファーベッドで
タンをからませながら話してくれたことを
今でも鮮明に思い出します。

 

いつもなら仏前に線香をあげて
すぐ立ち上がる私。

この日はなぜか「ぼーっ」と仏壇の前に
座り込んでいました。

「今年ももうお盆になったよ」

「もう8年か。早いね」

「何してるの?」

「オレもイロイロがんばってるよ」

別に何か伝えたいことがあったわけでは
ありません。

一人で家を守る母を見守ってね・・という
わけでもなく。

ただじっと遺影の父の姿を見ていました。

そうすると突然、父の母、つまり私の祖母の
イメージが浮かんできたのです。

 

父のことをぼんやり考えていた

父は4人兄弟の末っ子でした。

戦争で1歳の時に父親を亡くしています。
フィリピン沖で沈没した輸送船にいたようです。

ですので父自身は「父親からの愛情」を
経験していません。

そうした影響もあるのでしょう。
家族の会話などでは不器用な人でした。

父が和菓子屋での仕事を手伝った話は
聞いたことがありました。

甘いもの好きだった父らしいエピソード。
祖母もそこにはいたはずです。

でも祖母とはあまり話をしたことがなく
エピソードを聞いた記憶がありません。

 

預けられた記憶とその後の心理的距離

私の3歳違いの弟が生まれるにあたって
2カ月ほど父方の実家に預けられたことが
ありました。

年の近い従兄妹が実家に3人。
近くの2人の叔母のところにもそれぞれ2人。

東京モンがいる・・と物珍しさから
彼らに追い掛け回されたようです。

後に迎えに来た母には、当時の3歳の私が
「いる場所がない」と訴えていたとのこと。

私が嫌ったからなのか、彼らも嫌っていたのか。

 

先に思春期を迎えた従兄妹たちは
ほぼ自室にこもるようになっていました。

あいさつの時にペコリと頭を下げるだけ。

一言も交わさず、それでいて別の従兄妹と
笑いながら自室に入ってしまうのです。

叔父や叔母との長話につきあうしかなかった
田舎の思い出。

「・・・つまんない」

大人になっても距離感は
さほど縮まらなかったように思います。

 

祖母との薄い記憶

そんなわけで父方の実家には、あまり親近感を
感じていませんでした。

祖母も例外ではありません。

 

この祖母は、いわゆる「やり手」でした。

女手一つで4人を育てたばかりではなく。

大きな一軒家を購入しただけでなく、
貸家も数軒所有していました。

一時はかなり財産を持っていたようです。
お金を貸すこともしていたと聞いたことがあります。

パワフルな祖母は、自分の子どもたちにも
負けることはなく、いつまでも影響力を
持ち続けました。

私はそんな祖母が苦手だったのですが。

 

父の遺影に重なってきたイメージは
なぜか祖母だとわかりました。

モノトーンの映像も浮かんできます。

預けられたあの頃の記憶。

畑でアケビを食べさせてくれたこと。
ほんのり甘く、ツブツブした食感。
太陽の照り返し、土のにおい。

 

先ほどまで全く忘れていた記憶まで
浮かんできました。

私が尿管結石で苦しんでいた頃
何年もの間、毎日神棚に願掛けして
くれていたこと。

 

祖母の想いみたいなものでしょうか。

「大丈夫、ちゃんとできるから」
「やっちゃん、心配いらないよ」

正確には声じゃなくてイメージなんですが。
こんなこと初めてです。

お盆の夢ということでしょうかね。

 

 

最後までお読みいただいてありがとうございます。